これまで、数回に分けて僕が経験した苦しかった時代の話しをさせていただ来ましたが、我ながらメンタルをやられずに(本人が気づいていないだけで、実はメンタルがボロボロになっているかも)やってこれたのは、上司や人事との面談で「本音で考えを伝えられた」ことが、大きかったのではないでしょうか。このことにより、「ややこしいヤツ」とか「梯子を外そう」と言うリスクに直面することは想定していましたが、失うものがない僕には「本音」で語ることでの怖さはありませんでした。それよりも、自分の考えを伝えなければいけないと言う正義感?と一種の発散の機会となりガス抜きの作用もあったのではないかと考えることもあります。このブログも恥やプライドを捨てて、少しでも僕と同じように苦しんでいる人に光が差し込むような、お役に立ちたいと言う気持ちが強いです。また、メンタル的に追い込まれているなと感じた時は、実は、書いていて矛盾しますが、光が差し込まない、光が届かないのですが、音楽が響くこともあれば、読書も大きな負荷軽減に繋がり、役立つこともご紹介しておきたいと思います。僕は、偉くはないですが、仕事の姿勢やらでは、何となく皆さんから後ろ指を指されることなく、便利屋の立ち位置をキープしていましたから、「転職活動をした」事実について伝えても、上司や人事とも聞く耳は持ってくれたような気がします。周りから、「よくそんなことを言えたね」とか、妻に至っては、「リストラの最有力候補になるような真似はしないで」と咎められたりもしましたが、僕には「お金」や「出世」以上に、体面などを気にしていたら、本当に心のこもった仕事が出来ないという想いが強く、そのことにより、仕事の優劣や勘所さえ見失ってしまうこと、顧客が求めているものからズレてしまうのではないかということへの恐れの方が大きかったです。これまで、苦しい時に「自己啓発書」の類いを何冊か読んでみたこともあるのですが、弱った人間には心地良い内容が書かれており、解決へのヒントが書かれているかと言うと「それで、どうなの?」という感想しか正直なところ持ちえませんでした。どうせ、本を読むなら、ビジネス界の重鎮から評論家までが書いた様々な考えを見て吸収していく方が、わざわざ講演会に行かずとも、著名な方々の考えをいつでも身近に吸収したり修得できますので、良書を選ぶことは大事ですし、ピタッとはまれば、効果は絶大なのではないでしょうか。とは、言うものの中々、僕のような底辺を彷徨い、喘いでいる人間の気持ちを代弁するような本は、売れないのか出ていません。肝心のところが書かれていないことによるフラストレーションは、大きいですね。ゆくゆくは、この場をお借りして、本の紹介もさせていただきたいと考えています。さて、話しが少し脇にそれましたが、今日は「本音を語る」ことについて考えていきたいと思います。

一歩外を出れば、「7人の敵がいる」と言われますが、もっと具体的な話しをすると、職場では、「嫉妬」「足の引っ張り合い」「陰口」などドロドロとした陰謀めいたものが埋めいています。僕は、かつてあらゆる部署の上司たちと仕事の時間中、人間関係を気にせず「喧々諤々」やりあって来たことを紹介して来た通りですが、ある時点で「社内(学内)抗争」で刺されるのではないかと冗談で感じる場面もありました。僕は仕事をする上で、一番持ってはいけないものは、「私利私欲」だと考えています。これは、民間企業だろと、公的機関だろうと同じだと思います。それは、社会(顧客)に生かされて成り立ち、器と言いますか、組織の箱を持って生かされているわけで、信用の上に成り立っているいる以上、視点は常にクリアであるべきというのが、僕の考えです。そうすと、自ずと「プライド」や「自意識」を捨てて、仕事に向かうこと、即ちそれが「本音」に繋がっていくように思います。

日本社会で生きていく中では、生まれてから家庭や学校教育の中で、「立派な大人?」になる価値観を植え付けられていきます。「本音」を言って嫌われるぐらいなら、目立たず同調して、火の粉が被らない方が良いのではないか、これは極端な話しですが、「嫌われる」ことについて過剰に意識するきらいがあります。そういえば、ベストセラーにもなった「嫌われる勇気」にもありましたが、「他人の期待を満たすこと」や「自分の課題と他人の課題を分ける」ことの記述が参考になると思います。ここで書かれているアドラーの心理学では、「人のことばかり考え、また人からどう思われたいかを期待して、生きていくことは、他人のために時間を費やしていることにつながるのではないか」と説明しています。僕は、前部暑の時代、例の女性と意見交換を交わしましたが、「考え方が違うということだけが分かった。」このことは、ある意味、救いだったと言えるかも知れません。それ以降、余計な会話も無くなりましたし。現部署でも、上司がみんなで話し合えと言ったところ、逆に余計に溝が深まった経験があります。詰まるところ、日本社会では、余程根底に信頼関係が無ければ、足の引っ張り合いや憎しみしか生まないケースもあります。特に暇な組織ほど、どうでもいいことにエネルギーを使いがちです。ですから、組織の風土を含め見極めた上で、リーダーシップをはじめ、意見を戦わせることが必要です。冷めた言い方になってしまいますが、よくよく考えてみると、「安定した仕事」や「トラブルの無い人間関係」なんてこの世に存在しないことを僕たちは実は、一番理解している筈だと思います。僕は、帰国子女が多く学ぶ高校にお招きされて、講演したことがあり、「本音」を語る重要性を高校生に伝えました。異論反論も出ましたが、僕の中では、やっぱり「本音」で相手に伝えることは重要と言う結論で結んだ記憶があります。先日も、ある動画紹介のコメントについて、若い人から意見を求められました。予め断ったのは、「あなたを責めているつもりはないけど、情報が多すぎて、何を言っているのかが分からない」とコメントを開始していきました。事実関係に基づき、顧客がどう思うのか、その点だけに絞り、僕はダメ出しを連発しましたが、どうやら上司などの意見を忖度した結果、分かりにくい動画が出来上がってしまったたようで、「目が覚めました。自分が当初考えていたことの方向性が正しいことが分かりました」と彼は言ってくれました。僕は、もう一声出して、「じゃあ、そのことを上司にちゃんと説明して、手直ししたら?」と言いました。こういう関係が構築できるようになれば、「しめたもの!」と思います。先ほどの帰国子女の方の例は「本音を連発して嫌われることをこの日本社会で経験して、黙ることで上手く人間関係が回るのではないか」というものなのですが、かたや純粋培養の島国ニッポンで育った人間は、発信力が弱く、陰でグチュグチュとなる。この違いは何なんだろうという疑問を解く鍵が、詰まるところ「教育」にあるのではないかと感じました。学校に勤めるものとして、少し感じるところを次回紹介できればと思います。

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