日本は、災害が頻繁に起こります。この間も熊本では大雨で大変な被害が出ております。これは、野菜などの生産物にも大きな被害をもたらし、結果として、市場に出回らなくなると、僕たちが食べたくても食べれないか、どうしても食べたい時は随分と小粒なモノで味も美味しくないものを時として買わざるを得ない状況が現実として起こり得ます、

丸々と大きく自然の恩恵を受けたレタス100円と災害により、小さく味も今一つのレタス300円。この二つケースを比べてみましょう。そもそも、なぜこのような価格設定が起きてしまうのでしょうか。また、その価値を考えた場合、どちらを買う方がお得なのでしょうか。

これは、一羽の鶏が卵を何個産むかと言う「卵と鶏」の議論になるのですが、一羽の鶏が1日に卵を一個産むのと、別の鶏が1日に卵を三個産むのとでは、価値評価も変わると言う話しに匹敵するわけですが、もし何でも「安いものはダメ」で「価格が高いものが良い商品」と言う判断基準でいくと、レタスの話しは本当にそうなるのでしょうか。不作ゆえに、市場に出回る数が少ないため、レタスと言う商品の価値は上がり、価格も高値で取引される理由は納得できると思いますが、実際に大きさや味と言う本質のところでこの品質では疑問があると判断した場合、価格だけで、価値は判断出来ないという現実が起こり得ます。こういう買い物をしてしまいますと、人によれば無駄遣いになりかねません。

無駄遣いの概念は個人差がありますので、正直なところ一括りに出来ません。レタスの話しに戻りますと、小ぶりで美味しくもないレタスをわざわざ高い値段で買うことに僕は無駄遣いと感じますが、どうしてもレタスを食べたいと言う人には、無駄遣いにはならないのだと思います。新幹線や飛行機での移動に際し、グレードアップした席を確保することも、人にとっては静かで快適な時間を過ごせ時間をお金で買うと判断した場合、意味のある出費になる人もいるでしょうし、高々、僅かな移動に割増料金を払ってまでと考える人もいると思います。どれが正解かなんてありません。お金は「道具」で、モノとの物々交換から派生したと前回お話ししましたが、そこにサービスも加味して、価値があるかどうかをじっくり見比べ触ってみたりして考えてみるべきです。そこから、価値ある「幸せな」時間を見つけていきたいと思います。

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