学校に勤めて20年経ちますが、僕の立ち位置は相変わらず底辺を彷徨っています。これには僕自身にもきっと原因がありますし、人との巡り合わせのタイミングの問題もあったのではと考えることもあります。

僕は、前職の経歴を引っ張って経理部門に配属されてから、このかた14年間に渡り、同部門に籍を置くことになります。転職早々、僕は民間会社で培ってきた仕事のやり方、目線を新しい職場で実践しようとしました。一言で言えば、何もかもがイメージと違い遅れていたのです。当時揶揄された言葉に、「学校は、民間企業に比べると20年遅れている」というものでした。僕から言わせると、人の質にも問題があると言わざるを得ないと感じました。民間会社での仕事が務まらない人が集まっている感じでした。こんなこともありました。仕事を進める上で分からないことや疑問なことは、部署間を跨いで解決することが当たり前のように求められる際も、その過程において担当者間で確認して行こうとしたところ、「それはまず上司に相談して、上司にやってもらうこと、君が直接やるべきことではない」と注意を受けたことがあります。若いうちから「交渉力」を養う必要性を説明しても、全く受け入れられませんでした。またある時は、忙しそうにしている同僚の仕事を手伝おうとしたところ、「残業代がかかるから、手伝わなくて良いから帰ってくれ」となりました。それでも、僕は自分のスタイルが間違っていないと確信していたため、仕事のやり方を変えませんでした、そうすると、いつの間にか、僕は学校内でも無数のトラブルメーカーとなり、上から下までの人間と、喧々諤々やり合うことが多くなりました。上司は、僕からの相談には、「ろくな話しはない」として、全てにおいて、「迷惑をかけて申し訳ない」と先方の上司や取引先に頭を下げることで対応を済ませていました。経緯を理解した上で、ちゃんと判断して「言うべきことは言って欲しい」と懇願しても、「上司の俺が良いと言ってる以上は、これ以上、口出しするな」と言われることもしばしばあリました。そして、極め付けは、「君はもう一度、民間企業に転職した方が良い、ここでは君の能力は生かせない」と言われる始末でした。学校の組織体は零細企業なのに、やたら部署が多く、経理の中でも縦割り業務で、隣の人が何をやっているのか分からないような組織なのに、形ばかり繕っている体制に違いを認め受け入れる努力もしないといけないのかなとも思い、違和感を持ちつつも「風土」に慣れようと努力しました。仕事を覚えたい僕はもうスピードで、オンライン化を推進したり、日々の業務もスピード感を持って生産性を意識して取り組んできたつもりながら、「うちの学校はお金がない、お金のかかる提案はやめてくれ」と何かにつけては出て来る言葉に辟易してきました。転職後僅か、3ヶ月で感じた違和感は、「転職のミスマッチ」を確信させました。ある時、「ポストイットが無かったので、買いたい」と言うと、「それは銀行担当の君が融通してもらって来ることだ」と言われ唖然としました。また、学校の会計基準は国が決めたルールでガチガチに縛られており、何かイレギュラーのことをしようものなら、国から交付金(補助金)を貰っているから、それもこれもダメ出しの連続で、面白味も感じませんでした。何より、予算主義や現金主義にも、活動範囲の狭さを感じました。他部署の長と研修に行った際に、「学校は民間企業と比べたらやりがいはないから、そこは割り切らないと」と言われると、腹の底では、「アンタらが、楽しようとする風土に甘んじてきただけで、何も考えていないだけ」と答え用としている自分に、それを見越してか、「君も10年も経てば、浦島太郎状態になるから、心配ない、ハッハッハァ」と笑われてしまいました。そんなことが続いているうちに、僕の体に異変が起きてきます。耳と鼻に関するところですが、蓄膿を繰り返し、大人になって初めて中耳炎を経験したかと思うと、それを繰り返し、一向に治る気配を見せませんでした。病院巡りを繰り返し、診断が中々、おりないかな、漸く出た診断が「好酸球性副鼻腔炎」という難病指定の病気でした。原因が分からない故に、治療法も確立されておらず、これまでに蓄膿の手術を2回やり、耳も何度も切開したことにより、今も鼓膜に穴が空いている状態で、聴こえも悪く、憂鬱な日々が続いております。僕の中では、ストレスが少なからず関係しているのではと考えていますが、科学的根拠が示せないので、ずっと胸の内にしまっています。そして、仕事の方は更に悪化の途を辿ります。

縦割り業務と言っても、人事異動で人の入れ替わりがあれば、当然ながら、担当業務のペアも変わることも出てきます。僕はある先輩女性と数年間ペアを組んで仕事をすることになりましたが、これがまた酷かった。それは、この組織の特徴とも言える「議論が出来ない」、「勤務時間中は人間関係を気にせず意見を言い合える環境がない」、このことを地でいくような彼女は僕と考え方が違うことが分かると、スタンスを変え、仕事の情報は流さず、オマケに人事部門の人間と不倫関係にあり、使いづらい僕を排除していく動きが見え隠れしてきました。彼女の行動は、自分にしか仕事を分からなくするやり方で、残業代を稼ぎ、定時になるとその彼氏とイチャイチャしだす二人を見て僕は完全に白け、同じ空間にいることさえ耐えられなくなりました。僕が帰った後、彼女は僕が起票した伝票について相談もなく勝手に決算関係の振替伝票を改竄したりすることも、僕の怒りは頂点に達し、完全にキレて怒鳴り倒しました。その時の上司も、彼女とその彼氏の関係性に忖度しだし、結局僕が悪者になる始末でした。上司からはそれまで僕に昇進の話しを何度もしてきましたが、それ以降、その話しが出ることはありませんでした。代わりに彼女だけは、驚異のスピード出世したことは言うまでもありません。

もう、こんなおかしな職場にいるのは、時間の無駄と思い、飛び出そうと転職活動をし始めた矢先、職場の健康診断で肺に影があることが判明しました。再検査の結果、「好酸球性肺炎」と言うことで、難病がまたも悪さをしているのかと思い、ガックリしました。そしてこの病気が厄介であることを改めて認識しました。この病気の影は体のあらゆる箇所に移動するようで、今回の治療法は、肺は一度潰れると機能が復活しないので、早期にステロイドの点滴投与が望ましいということでした。当初、2週間の入院を告げられましたが、新型コロナのように自覚症状のないケースもあったように、その時の僕も息苦しさなどがなく、緊急性を意識していませんでした。蓄膿の手術を2回やっても、また繰り返すことを後から聞かされると、冷静に医師の説明を聞きつつも、医者任せではいけないなと考えていました。夏休みでシフト勤務体制の中、仕事を急に休めないことを説明し、毎日通院して点滴を投与して、肺の影を消すことになりました。この時の影は消えましたが、やはり好酸球の怖いところは、やはりこの後も影が出てきますので、定期的なレントゲンでの確認が必要となっています。肺の影が消えてほっとしたのも束の間、今度は股関節に痛みを感じるようになりました。外科でレントゲンを撮っても異常は見つからず、しかし日増しに歩行が困難になり、ついには足を引きずって歩くようになったことから、点滴を投与した主治医に相談したところMRIで検査をすることになり、「大腿骨頭壊死症」と言うまたしても難病指定の病気が判明しました。「壊死」という言葉に愕然とし、既に結婚し子供もいましたので、まず最初に思い浮かんだのは、もし僕が働けなくなったら、家族はどうなるのだろうという将来の不安が過ぎりました。主治医はステロイドの投与量は、多くはなかったものの自分の責任と認識しつつも、やり場のない不安と怒りが込み上げてきました。だからと言って、この医師との関係が険悪になることはその後もありませんでした。余談ですが、この主治医の先生も後で脳梗塞を患い、現在の病院では医師として働けなくなるという状態になります。主治医の勧めで身体障害者手帳取得の申請をしたところ、6級に認定されました。もう自分は健常者とは違うということ、子供とスポーツも一緒にしてあげれない現実を受け入れるまでに相当の時間がかかりました。主治医からは、車で通勤し重い荷物など股関節に負荷のかかる仕事は避けるようにということで診断書の提出が職場に対しありましたが、人事の例の男性は「マイカー通勤にしたら、通勤手当の算出方法が定まっていないので、これから勉強する必要があり、それの結論が出るまでにはかなりの時間が必要だ」と言ってきたので、やる気のないことを察知した僕は「今まで通り電車で通勤します」とだけ言ってその後、この話題に触れることはやめました。仕事の担当はいつの間にか、資金運用と学費管理になり、特に学費の管理(徴収)は保護者から相当反発を買う仕事で、顔の見えない保護者からの相談や支払猶予を求めるものや督促状の文面がキツいなどと言ったクレームに対応することが多く発生しました。ダイヤルインで僕にかかって来る電話はそうしたクレームの内容も多かったため、誰も電話を取ろうとせず、関わろうとすらしませんでした。窓口でトラブルになった際にも、上司は助け舟を出すどころか、適当にあしらっとけという始末ですし、学内でクレーム対応の研修があった際、人事の例の男性は僕を指して、「何か事例を挙げてくれないか」というので、正直に講師に話したところ、「あなたが一人で対応していることについて、この職場の問題(無責任な上司の対応に)を感じるし、あなたがメンタル的におかしくならないか非常に心配だ」研修終了後、個別に呼ばれ、言われたことがとても印象的でした。またある時は、窓口対応した保護者が他部署で更に相談した結果、埒が明かないと判断したのか、裁判沙汰になることもありました。しかし、声をあげたことで学費関係はその後学生側にとってメリットのある結果になったことを踏まえると、声をあげることは大切なんだなと感じた出来事でした。そして、この後数年して、声をあげる先陣を切る役目が僕に回ってきます。

あなたの市場価値を見いだす転職サイト【ミイダス】無料会員登録

Amazon.co.jp

送料無料の情報が満載!ネットで買うなら楽天市場

転職なら【DODA】求人情報・転職支援会員募集

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です