Zoomを介しての授業や会議、取引先との打ち合わせが当たり前になるのかと思いきや、いずれも「対面」に戻して行こうという雰囲気があります。昨年、某地方の高校で授業をする際、Zoomだから時間を有効に使えてよかったと感じましたが、中には、出張=遊びと捉えていたり、手当が付かないから、対面の方を良しとする向きもあるように思いました。こう言った、お金や自分だけ得をしようとする価値観を持っていれば、自ずともっと大きな組織運営にも影響が出てきます。僕たちは、コロナ禍にあっても、どこに進むのかを明確にしていかないと、泥舟のごとく、組織は沈没してしまいます。公益法人に属し、ノルマもなく、国に守られていることから、お上の指示で大きなお金を注ぎ込んでコロナ対策もしましたが、果たして後に生かされていくのかどうか、組織内でモノを申さず、苦労せず出世している人間に思考能力は果たしてあるのか、対人折衝能力は?うーん、甚だ疑問に思います。組織が道を誤るということは、こういうことなのかというのが、あちこちで散見し始めてきている気がします。

一例ですが、長年の給与計算のミスや、権力闘争で本部から粛清した人間が、あちこちで刃をむけて、歯向かう動きなどは、個人商店の域を出ない、由々しき事態だと思います。僕は中国の史記の世界と重なって見えて仕方ありません。ここで、詳細は割愛しますが、前近代的な組織運営がなされていると、対外的にも脇がどうしても甘くなります。この春の入試で入学した学生から種々、裁判では無いですが、訴えられ、あたふたしている様を見ていると、コミュニケーション能力の基礎を覚えなければいけないのは、むしろ教職員では無いかと感じさせられます。何が、相手や自分たちの利益であり、幸福なのかがゴチャゴチャになっている気がします。隠そうとすればするほど、矛盾が生じておかしなことになります。こんなニュースがありましたね。天下の東京大学の学長がコロナに感染したと。僕にとって斬新でした。本学では、教職員のコロナ感染は隠しましたからね。これでは、危機管理もあったもんじゃなく、感染症対策なんてあって無いようなものですね。

この一年で変える、変われる最大のチャンスがこの春だったと思います。もしかしたら、今年ならまだ間に合うかも知れません。冒頭にも書きましたが、学生生徒と教職員の距離的な問題は、今後の学校運営の根底を大きく変えることにつながると予想します。これから、オープンキャンパスの準備ですが、本学では対面も併用するようです。対面が良いのかオンラインが良いのかは、賛否両論ありますが、時間を有効に使うにはという観点で考えれば、僕は通学時の時間を使い読書に割きたいので、対面には拘りません。読書は、色々な著名な方の考えを吸収できる手っ取り早い手段ですから、読書を幾ら積むかでその後の人生は大きく変わると思いますので、とっても大切なツールです。学校関係者がこんな事を言ったら元も子もないですが、〇〇学部出ましたって言ったって、社会では様々なファクターと向き合い、分析し自分で判断していかなければならないので、とてもとても大学だけの勉強で事足りるわけがありません。真のリベラルアーツが求められます。これは、またの機会に。

僕たちは、まだまだ勉強をしなくてはいけない未完成の人間であることを忘れると、傲慢な態度に出て、足元をすくわれることになります。僕は、今春の入試を運営する責任ある立場で間接的ですが失敗を経験しました。上司は僕の責任と捉え、その時、挽回のチャンスをくれました。僕は、失敗を負けと考え、どうしたら勝てるかを考えました。人生において、負けがないと勝てないと思うことが多々ありますが、本当にそうだなあとその時、痛感しました。思い通りに物事が進まない現実を受け入れ、壁を乗り越えるべく全力で闘う姿勢が必要だと思います。僕は、上司に汚名挽回のチャンスを貰った事を、期待されている事に置き換え、期待に応えるべく策を練りました。この期待されているという事を感じさせる指導者が、ここの組織にどれだけいるのかが、バロメーターで僕の中では、死に体のまま終わる組織かの分かれ道と言っても過言ではないと感じます。でもね、最低限のルールといいますか、マナーといいますか、そもそも人間性が良くないと良い仕事は出来ないと思います。入試という仕事は色んな社会に当てはめていっても、教職員にとり良い教材になる仕事だと思います。

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