大学入学共通テストの試験室割当など、この8月に入り、漸くワサワサと動きが出てきました。ところで、この共通テストも右往左往した結果、昨年度まで実施されたセンター試験とほぼ変わることなく、実施されることが明らかになりました。この背景には、政治家、官僚、民間企業の三つ巴の改革という名の攻防が繰り広げられてきました。予算措置の金額によっても、対応が変わってきますし、結果として、受験生が振りまわされることになったことは、自明のことです。

さて、コロナ禍の授業形態についても、多くの大学で実施されていますが、学生には賛否両論が渦巻いております。とりわけ、新入生は一度も大学に行かずに、地方出身者には、友人を作る機会もなく、悶々としていることだと思います。立命館大学のおよそ1割がお金のことを含め、退学を考えていることがニュースになりました。

まず、コロナ禍のオンライン授業で見えてきた問題は何でしょう。

1️⃣オンライン授業を対面授業と同じレベルまでに引き上げられるか

2️⃣家庭学習の進度の差が歴然になったことから、それをどう埋めていくか

3️⃣主体的に自学学習にどう取り組むよう指導するか

秋冬に大きなコロナ感染が拡大した場合、これを念頭に置くことで克服できるものもあるのではないでかと考えます。

では、コロナ後の授業はどうなっているのでしょう。

1️⃣アフターコロナ派と旧態のやり方に戻そうとする人たちの攻防が激しくなる

2️⃣コロナ禍で仕事の取捨選択が明らかになったように、淘汰が明確になる

教育改革は、長く時間が掛かると言われます。それは、学生が社会に出て、何かしらの結果を出すのに時間が掛かることに起因します。私も民間会社勤務経験があるので分かるのですが、お金があって事業が成り立つわけで、学校だけがユートピア的な扱いを受けること自体に疑問があるという意見にも納得がいきます。今は、学校に行かなくても、ネットから情報を取得し、自分で考え事業を起こす機会もあります。そうなりますと、大学の役割とは何なのかを真剣に考えないと、淘汰される時代はすぐそこまで来ていると考えるのが普通ではないでしょうか。

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