四羽のヒヨドリの雛も、飛び立つ日が間も無く来ます。人間と違って、あまりに早い成長と、それ故に寿命の短さは、儚いものだなと感じます。今回は、お隣の家にまで伸びた木の枝を切っていたら、偶然鳥が飛び立ち、おかしいなと思い、その方向に目をやると、巣が出来ていたという生命の誕生を間近に見る機会を得ました。子供たちには、ヒヨドリは野鳥だから飼うことは出来ないよと説明しましたが、やはり親鳥がカマキリを丸ごと雛に餌として与える姿は気持ち悪い反面、興味津々でもあったようです。今は、YouTubeを見れば、その辺りの成長を記録した動画は幾つも出てきます。でも、リアルさに敵うものはないなと思いました。とは言っても、僕は、初めての経験でしたから、多くの動画から予備知識をたくさん貰いました。それにしても、一度に四羽の餌を親鳥が調達するため、雛たちから離れカラスからの被害を負うリスクを抱えながらも自然界の摂理に従い、生き抜いていく力強さ、大人の感覚には圧倒されました。人間界では、親が赤ちゃんの目を離すことは無いからです。そして何より失敗しても命まで取られることはありません。ヒヨドリの親鳥は、巣に戻ったら、雛たちがいないと言うことは十分にあり得る訳ですからね。
逆説的に言いますと、コロナ禍だろうが、命まで取られることはないのだから、生き抜くためにあらゆるチャレンジをするべきだと思うんですよね。どんな時代が来ようとも原理原則は変わらないと思います。サラリーマンで生きるか、フリーなり起業して生きるか。その過程と言いますか、途中の行程は、もっと柔軟性を持って考えて良いと思います。そこには、お金に余裕があるとか、生活が保証されているとかは関係ないと思います。人を評価する基準にありがちな、職業や給与、住まい、これらはリスクと隣り合わせです。有名企業に勤めていれば、凄いとか、大きな家や一等地に住んでいればお金持ちだとか、そんな神話的な話は永遠ではありませんし、かえって、そこからはみ出さないようにとか、立派な住まいを維持しなきゃと考えた時点で、エネルギーの矛先が違うところに行くのではと思ったりします。
プライドを勘ぐり捨てれば、何でも出来る!
このことに尽きるのではないでしょうか。