毎年実施する入学試験、これは緊張の連続ですし、歩留まり計算を担当する場合は、定員管理と国からの補助金との紐付きとなり、これをミスると経営に与える影響は大きくプレッシャーも計り知れません。一方で自分は、困難に対峙した時にどこまで頑張れるのか、また成長できるのか、それらを考えたときに今の僕には、もういいんじゃないかという想いの方が先立ちます。早い話しが、気力やモチベーションがないということですね。

僕の世代が、学校教育で受けてきたことは、随分前のブログでも述べてきましたが、社会にいかに同化して頑張ることが良き社会人としての目指すべきゴールかであり、そういった人材を量産すべく、家庭でも親から口うるさく未来のために皆と同じレールに乗って、頑張れとお尻を叩かれてきたきらいがあります。良く言われることですが、偏差値の高い大学に入り、大手企業に入れば、ハッピーな人生が待っていると言われ続けた幻想は一部の人には当てはまるかも知れませんが、大多数の人は、競争社会に明け暮れる毎日で疲弊し、大多数の人が会社の出世レースから外れ、結局のところ時間と労力の無駄でしかなかったような現実が目の前に見えてくるのではないでしょうか。夢や希望が思い通りにいかないと言う現実を嫌でも直面するわけですが、早ければ30代半ばには、生活、会社など薄々理想と現実の間で乖離していることに気づき、もう取り返せない現実を目の当たりにして心身が不安定になるケースが出始めてくるのでは無いでしょうか。僕がやる気がないと言うことをここで言っていることは、肉体的な頑張りが昔のように効かないのもそうですが、エネルギーを使うところをガムシャラに向き合うのではなく、合理的に考えていきたいということとも無縁ではありません。

「ミドルエイジクライシス」は中高年の危機と言うようですが、中年に差し掛かったころに出始める陰鬱な気分、これがひどくなるとうつ状態になると言われています。僕自身は、ベビーブームの世代で、バブル経済が弾けて数年たち、経済がドン底の中、学生生活を過ごした為、早くから多くの挫折を味わい、今も混沌とした気持ちから抜け出せずにいます。本当は、海外で活躍していたはずだったのにとか、今更言っても仕方が無いことを時として頭を駆け巡ります。

端的に申し上げると。やりたいことと、やらなければならないことが板挟みになり、これまで受けてきた教育でやらねばならないことばかりに傾注せざるを得ない状態が続き、時間を浪費していく中で瑞々しい感性や研ぎ澄まされた感覚が薄れていく状態で、このままで良いのかと言う状態に陥ることであると理解していただくと分かりやすいと思います。もっと言うと、頑張った分の評価もないまま、働き続けなければならないと言う状態にあるというとしっくりきますかね。

有限の時間をどう生きるか、このことを考えると自ずと答えは出てきますが、家庭を持っていたりすると割り切って態度に示すことは難しいと思います。でも、いつも満点を取れるでしょうか、また割り切って自分を押し殺すことは本当に可能でしょうか。その反動は、ストレスとなり身体に影響が出てくることは必至です。僕は、これまでのブログを見ていただくと分かると思いますが、割り切って言いたいことを言っています。服装も好き勝手な格好して我慢しないようにしています。きっかけは、数年前に障害者になったことが大きいかも知れません。我慢をやめてみる、これはとても大切なことです。

それでもあなたは、まだ、頑張り続けますか?

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