今年度の入試は、大学院入試を皮切りに、総合型選抜、学校推薦型選抜、そして年明けの一般選抜と続きますが、コロナ対策は昨年同様に施すことになります。大学院の志願者で面白い方がいましたので、少し紹介したいと思います。

何が面白いかと言うと、いわゆる起業家であって、色々な会社を作ってきている方なんですね。まだ若いのに凄いなあと思い、話しに聞き入っていたら、「お金を稼ぐことは簡単であるけれど、稼ぐ目標を達成したら、次は何を目標にすれば良いのか、自分が一番欲しているのは、お金ではなく、教育という公器ある場所で、研究者(大学の先生)として働き、箔を付けることが究極に欲しいものかも知れない」と言っておられました。

仰っている内容は、良くわかりますね。お金って、稼ごうと思えば、努力で何とかなる部分はあります。高額所得者になって、物欲にかられて、モノを買っても、虚しさが残ったりします。ホリエモンこと堀江貴文さんは、モノを買わないと言われていますが、達観した姿であり、次に人が求めるのは、肩書き、地位、名誉を超えた箔に行き着くんだなあと感じました。僕には、縁遠い世界で、どれも達成していないものの、満足感と言うことから言えば、大いに納得が出来ます。

サラリーマンであれば、肩書き、地位、名誉、お金は現役で一旦途切れます。勿論、リタイヤ後も、経済界で活躍している方はいらっしゃいますが、多くのリーマンは、定年で普通の人、再雇用で平社員に戻り、給料も減額されます。ひとり社長で、生涯現役であれば、そういったものを享受できますが、自己愛だけで自分さえ良ければと言う考えには、いずれ限界が来て虚しさを感じる瞬間があり、次の目標を探るのだと思います。

9.11から20年が経ち、改めて命の儚さを思い知らされます。救助にあたった消防士の方々もアスベストの粉塵を吸い込み、ガンなどの後遺症に悩まされ、コロナ禍では治療も受けられないようです。残された人間にも痛みは付き纏っています。僕は、震災でも同じことを考えさせられますが、生き様をどう真剣に捉えるかは、全地球上に生きる人間に求められているのだと思います。「俺が俺が」と言う承認欲求は歳を重ねてくると、エゴでしかなく、組織にとっては有害でしかないように思えます。20年前のあの時、事務所のテレビでえらい事になったと思いました。テロと言うことが判明した時点でどこが標的になるのか分からないことを理解すると同時に、全世界が運命共同体の船に乗ったことを実感しました。共存共栄の考え方が芽生えたのもこの頃です。

僕たちは、悲惨なニュースを見る機会が多くありますが、それを一つの警鐘として捉えていきたいと感じます。合掌。

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