僕の社会人としてのキャリアは大きな挫折からのスタートでした。東欧諸国に興味のあった僕は、国際関係に関心が高く、数字を扱う経済系には全く無関心でした。就職氷河期ということもあり、自分の希望を言えるような立場ではありませんでしたが、海運会社に入ったなら、海外駐在員の配属を希望していました。ところが、配属になったのは、総務経理系で、グループ会社のサブマネジメントをする部門になります。裏方の雑用の仕事がメインという、花形の営業部門でもないわけで、僕はショックの余り、この先、やっていけるかが心配でした。でも、新入社員の内から、やる気なしではいけませんし、腹を括ってトコトンやってみようと気持ちを入れ替えました。それが、通算20年の経理キャリアに繋がっているのかどうか分かりませんが。向き不向きは分かりませんが、食わず嫌いは最初からしないに越したことはありませんし、人についての噂も一旦、傍に置き、フラットな視点でみることが大切だと思います。

転職して、僕は前職よりも給与が上がり、「お金」と教育現場の学校という「ステータス」を一編に享受したかのような錯覚に陥りました。それは、金融機関をはじめとする取引先がチヤホヤしてくるためです。「お金」と「ステータス」、この2つは、非常に魅力的な甘い蜜で、これを手に入れてしまうと、それを守ろうと保守的になり、失敗を恐れるため、ヒラメ社員になり、自分の成長を止めてしまう危険性があります。実際、僕は学校に勤めているだけで信販情報がすごいことを経験します。クレジットカードの支払上限額を上げる依頼をせざるを得なかったことがありましたが、その場で百マン単位に上げて貰うようカード会社に電話したところ、即答で「OK」となりました。「信用」があれば、「お金」をある程度、無尽蔵に借りられることを住宅ローン審査でも経験し、「お金」とは何だろうと考えさせられました。ただ、僕の給与と世の中の市場価値については、広く社会を見渡せば、自分の実力がどの程度のものかは痛いほど分かっていました。自分の本当の市場価値から目を背けて流されて生きる価値観も有りだと思いますが、僕の場合は、「このままでは世間で使えない人間になってしまう」と危機感を覚えました。だからこそ、仕事に没頭しようとするも、部署内のカベも高く、なかなか思うように仕事を進めることができませんでした。交渉力を含め、年齢ごとに求められているスキルなどが前職では明確に有り、それが評価制度に反映され、他人との競争ではないことを徹底して教わりました。面倒な難問も自分が責任を持って解決する気概で、立場などお構いなしで、意見交換を進めていきたかったのですが、先方は、その気が全くなく、むしろ邪魔者扱いで、注意を受けることか、煙たがられ、思うように関与ができませんでした。その頃には、体の異変も発生しつつ有りましたが、限界を感じ再び転職活動を始めようと決意します。正直なところ、民間企業に転出していくことに躊躇がなかったかと言われると、嘘になります。学校に残れば、年金も共済組合で良かったですし、給与も確実に支給され、将来の生活設計も見え、おまけに「社会的なステータス」も有ります。これらを手放すのが惜しい気持ちが裏側であったことは隠しようもない事実です。だけど、それにしがみついて、やりたいことを封印するような人生は、きっと死ぬ時に後悔すると思いました。ですから、僕は保護されたホームから出ることを決意しました。これからは、決まった時間に食事の提供も無いけれど、自分で食事を探す術がなくなることの恐怖の方が先に頭を過ぎりました。リストラなどの対象になり、組織から出ていかなければならないこともゆくゆくはあるのかなと想定すると、本当のピンチを迎える前に動く必要性を感じました。僕の中には、「お金」や「名誉」などを意識することなく、それをかなぐり捨てて来たつもりでしたが、体を壊したことや、妻から「私にも考えがある」と言われたときは、家族がバラバラになるギリギリのラインを経験し、子供のことを考え、結局、転職活動をストップせざるを得なかったことが何度か有ります。そのことを踏まえ、「副業」の可能性にも着目して実践しています。でも、今日も、「落選」の通知が来て、少しガックリ来ましたが、継続しようと思います。

僕は、仕事柄、学長の後で、保護者向けに講演をしたことが有ります。それは、高校に出張して行うこともありますが、事務仕事と違い、このように人を前にして話すことは、反応がすぐに返って来ますので、皆さんに喜んで貰えたときは、自分の存在価値が認められたような気がして「幸せ」を実感することがあります。この「幸せ」を感じるためならば、僕は身を粉にしても努力ができるという想いがあります。そこに忖度などが入り込み、誰かに気に入られたいなど、目先の成功ばかりを追いかけると、自分の本音と重なっていないため、物凄い薄っぺらい発言になりますし、仕事自体の域値を超えることも難しいと思います。上司のアイデアを何とかして取り入れようとするばかりに、あれもこれもくっつけてしまうと、完成品がなんだかわからなくなり、何を示しているのかさえ、ぼやけてしまう恐れがあります。そういう人は、八方美人で「スマート」な振る舞いながら、そこそこの仕事で止まってしまい、絶対的なパワーはどこか欠けているように思います。僕はそういう人たちを揶揄した言葉で、「味気のないガムを噛んでいるようだ」と表現することがあります。

学校の仕事は縦割り故に、組織の成長が止まりがちになります。前職なら、伝票から始まり、次は借入金業務、決算作業、そして税務など、順番に先輩からレベルアップを図る仕事が落ちて来ます。しかし、学校は、ずうっと同じ担当者が同じ仕事をする関係で、上から下まで同じような仕事をしています。仕事が人にくっついていることも多く、異動もままならない現実もあるようです。僕は、マスターした仕事をオープンに共有し、手放して来ましたので、異動こそ少ないですが、人事異動で部署内の人間が異動すると、僕が新規担当にあてがわれ、結果として部署内の様々な業務を経験することができました。僕の中では、仕事を教え、一人前になってくれたことが嬉しく、上司にしても代打がもう一人立てられることは戦略上大きな余裕に繋がったのではないかと思います。ですから、このささやかな成功体験もいつまでも引っ張らずに、次へバトンタッチしていけば、組織のボトムアップも図れ、成長につながるのではないかと考えます。年齢とともに新しいことを吸収することは厳しい世界だとは思いますが、かく言う僕も、新しい業務を若手からまさに今、教わっております。当然、分からないことも多々ありますし、若手と意思疎通を図るリモート環境下での議論もそれなりに増えて距離感も少しは縮まった気がします。ただ中には、議論が喧嘩になるケースもあることも事実です。「喧嘩」を続ける人は、勝ち負けがハッキリするまで一歩も譲らないんですよね。以前、お話しした同年代の彼なんかはその典型例で、自分の正しさを相手に分からせるため、不毛な時間を延々に続けるわけです。僕たちは、全体の利益を考えて動いているつもりが、実は「自己愛」が強い人間が一人でもいるだけで、おかしな方向へ議論が流れてしまうわけです。彼は、他大学についてとても競争心を持っており、その学校の動向に一々、反応しますが、そんな競争を煽り立てることについて、高校生や保護者には一切無関係なわけです。彼らは、本学の興味関心のある情報を知り、疑問を解決したい、ただそれだけなのですが、そもそも内部の人間が、自分のために働いていると、視点を誤り、仕事の本質からも外れ、ユーザー目線から離れていくことになり、道を誤ってしまうことになります。僕は、本音を伝えることを趣旨としており、僕の説明を聞いた上司から注意を受けたこともありますが、良いことばかり言う彼のようなスタンスでは、誰からも信用されず、僕のところに確認が来ることが実はしばしばあります。前部暑の時も、寄付を金融機関から募ったわけですが、上司は一向に建前から本音に話しを移そうとしないため、先方にとっても真意が伝わらないことがありました。面談の後、支店長から電話を受け、真意を聞きたいということで、支店長室で個別に打ち合わせをすることもありました。結果として、寄付をいただきましたので、この時ばかりは、組織の「信用」以上に、個人の「信用」を勝ち取れたのではないかと思いました。

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