仕事に追われて、それが作業になっている経験はありませんか。でも、こなさないといけないので、その仕事が作業だろうが、そんなの関係ねえという事で、やむを得ず時間に追われやらなきゃいけない仕事もあるでしょう。物事を考えながら押し進めて行く事ができる人は器用に仕事に取り組める人だと思います。僕のように不器用な人間は、一旦、立ち止まってじっくり考えることが必要になります。それは、先々で予想されるトラブルや壁にぶつかった際の対処方法などを平時に考えておくと、実は仕事の視野も広がる気がするんですね。ですから、何事も、勢いに任せてえいやっで進めるのではなく、考える時間を大切にして取り組むようにしています。これも、実はつい最近気づいたことで、それまでは何か手を動かしておかないと気が済まない性格でしたが、手を休める時間を持つ事で、作業から仕事に変わることを実感できた気がします。

僕は、行き詰まると、ジイっと考えることもあれば、モヤモヤしている時は、本を頼りに何かヒントになる事はないか考えます。仕事は所詮、人より多く知っているかどうかでその人の信頼度やイメージに繋がります。僕は幸い?異動が少ないので、そこそこ仕事を覚えることができ、その分、頼りにされているところもありますが、その分、異動させずらくなるデメリットも出てきます。配置はその人の働く場所を決めてしまうので、生活にも影響を及ぼします。決して、今の部署が好きではなく、一刻も早く出ていきたい僕は、そのような背景もあって中々、異動できません。今日も、異動は諦めてここで頑張ってくれと上長から言われました。一種のハラスメントですかね。僕のやる気も失せ、八方塞がり感だけが僕を覆います。

家庭を持つと旅行や恋愛などに逃げることも出来ず、ひたすら直面した課題に向き合うしかありません。課題に向き合い解決できれば問題無いのですが、そういった事は極めて稀で、僕の場合は何十年もモヤモヤ感が続き、気がつけば流されて生きてきたところもあります。どういう心境かと言いますと、やりたくも無い仕事を責任ある立場ゆえに無理してやり続け、本当にやりたいことや、やらなければならないことを疎かにしてきた印象が強く、もういい加減、自分の好きなことだけに専念しても良いだろうという感覚が強いんですね。薬の副作用で股関節に障害が生じ、身体障害者となった時に、自分は中途半端に生きているから、仕事以外の試練を与えられたと感じました。

考えることはとても重要な意味があります。ただし、その次の行動に移せなくては、折角の思考も賞味期限で消え去ります。AIが持て囃されても人間の持つ感情から派生する知能をもっと大切にしたいなと思いました。

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