これまで、サラリーマンという立場は労働者であるが故に、「時間」と「労働力」を会社に提供し、お給料を貰う当たり前の仕組みについてお話しをしてきました。しかし、労働人口に労働者が占める割合は8割で、その多くは、「毎日忙しい」とか「つまらない毎日」と心の底では不満を抱いていながら職場に向かっているのではないでしょうか。そして、休日が待ち遠しく、プライベートの時間を費やすことのみ癒しの時間として、金曜日が来ると楽しくウキウキし、それまで忙しくしていても、不思議と「忙しい」という気持ちは起こりません。この差は何んなんでしょうか。それは、同じ時間の使い方においても「他人の時間を使っている」のか「自分の時間を使っている」のかとでは、自ずと違いがあることは明白だと思います。前者は、「苦しい忙しさ」で、後者は、「楽しい忙しさ」になると思います。この楽しさは、「没頭」に繋がります。

「会社」に属し、「苦痛を感じる」のならば、苦痛を取り除く手段を講じるべきだと思います。つまり、「会社を辞める」という選択も視野に入れるべきだと思います。これは、軽い一言に聞こえるかも知れませんが、見極めをして次に頭を向けた方が、時間の無駄遣いから解放され、有益な時間を過ごせる可能性があると思います。でも、多くの人は「会社を辞めたら路頭に迷う」という意識がまず最初に、浮かび上がり、途端にお利口さんになります。これは、僕たちが学校で教わってきた、教育」とは違う方向性を選択することを指しているため、「危険」「不安」と言ったネガティブな意見をはじめ、自分の判断すら、振り子のようにあちらこちらにブレてしまいます。でも、安全なレールに乗って生きているように見える人も、結果として、「まっすぐな道」を歩んできたかというと、実感は無いか、むしろ、「まっすぐな道」など無いと思っているのでは無いでしょうか。「仕事を辞めたら・・・」凡人の僕には何ができるのか、考えれば考えるほど暗い気持ちになりますが、この歳で、「副業」サイトに登録し、まずは行動に移してました。たまたま、経理業務の経験年数が多かったために、伝票処理を筆頭に会計業務に関わる仕事の依頼をいただくことがあり、僕の強みはこれなのかなと思う時もありますが、本音のところでは、もっと違うことをしてみたいという気持ちの方が強いです。「副業」や「転職活動」の引き合いで社会からの客観的評価がこういうものかと分かることは、ひとつの指針になりますし、自信にも繋がります。

「会社」の仕事配分も不公平と感じることが多々あります。僕は、仕事について何でも吸収したい傾向が強く、なるべく、自分の仕事を前倒しで済ませ、次の新しい仕事に備えているわけですが、これが上手く行かないことがあります。以前、仕事をシェアしない人の話をしましたが、それとは別に、新しい仕事が降りてきたとしても、それが決して評価に繋がることはなく、「便利屋」で終わってしまうことが結構な頻度であります。仕事に精通していると言いますか、こちらも経験を積んで勘所が分かり、他部署の人間からも頼られ、それによって頼られ、異動が出来なくなることもあります。僕のそういう仕事のスタンスを側から見ている「カシコイ」人は、自分の仕事をクローズし、自分のペースでゆっくり進め、期限一杯まで引っ張り、「その仕事しかやらない」という姿勢を周りに見せつけ、レア?な立場を構築している人もいます。お小遣い稼ぎで残業代を稼ぎ、それが残業を評価する組織風土を逆手に取れば、出世もそうですが、不動の地位を築くことも夢では無いわけです。今の職場は、そういう人が多く、仕事をオープンにしないため、異動が出来ず、何十年も同じ仕事をしている人間がいます。新しい人間関係や新しい仕事を覚える必要はなく、この仕事は自分しかわからないとなると、みんなが頼わざるを得なくなります。考えられないことですが、仕事と人が一緒に異動するケースがままあります。それを許す組織とは、・・・本当に考えさせられます。

これからの日本は少子高齢化で、労働人口が減っていくため、国力も弱くなるため、その指標たる金利も上がらないですし、給与自体も上がりにくい状況になるのではないでしょうか。「出世」の概念もあやふやですし、僕が経験したような、業務とは関係ない権力闘争に巻き込まれることもあり、それが原因で足の引っ張り合いや仕事の奪い合いをすることもあります。そんな姿を見ている優秀な人は、余所の職場に移ろうとします。これこそ、真っ当な神経の持ち主だと思います。「社会のレールから外れることが怖い」という想いは、誰もが抱く気持ちですが、動物界のような弱肉強食の世界ではありませんので、命までは取られることはありません。「毎日、会社に行くのが嫌だ」とか、「嫌な仕事をした対価としてお金が貰える」という僕の父の教えは、日本人が受けついできた、「教育」の賜物の成果と言えるかも知れません。我が子にも、その教えをつないでいくわけですから、大成功ですね。嫌なことをしてまで、会社にいることは、安泰を選ぶことに繋がります。なぜそうまでして嫌なことを我慢をするのでしょうか。

そして、もう一つ不思議なことがあります。大学で、幾ら専門科目を学んでも会社が信用していないですし、会社色に染めることを主眼にしているため、全く関係ない部署に配属されるケースが多々あります。僕もその一人で、お金にガツガツして数字と向き合いたくないという短絡的な理由で、法学部に入りましたが、結局配属されたのは、経営に近い経理部門であり、当初は随分と落ち込みました。でも、それを何年か経験してみて、自分が経営者ならという感覚を養えた部分では、後から思えばラッキーだったと思います。人を多く雇うのが優れた経営者ではなく、「ひとり経営」も立派な経営者に変わりありません。これからの時代は、「ひとり経営」も視野に入れて、こじんまりと長く経営していくことが有効ではないかと考えます。その際、得意な分野は、得意な人へ、要は自分が苦手な部分は、他人に仕事をお願いすれば時間も有効活用出来ますし、上手く回ると思います。僕の「副業」という見方はまさにそういう感じすです。昔では考えられなかった、伝票処理を、フリーランスの自宅へ送り、自宅に会計システムを導入し、入力し分析処理までしてもらうなど、考えられなかったです。裏を返せば、この業務だけでも、それなりの金額をいただけることは想像に難く無いと思います。冒頭に書きました「会社」を辞めたら、どんな酷い世界が待っているかという親や先生からのふれ込みは、果たして合っているのでしょうか。僕のような転職経験が少ない人間が言うことの信頼性は疑問に映るかも知れませんが、それでも一度でも外に飛び出る経験をしますと、「組織にしがみつく」発想がなくなります。それは自分で選択した道の世界への第一歩であったとしても、失敗しても命までは取られません。失敗することにどれほどの恥やリスクがあるのでしょう。失敗は諸悪の根源とでも教わってきたのなら理解できますが、むしろ失敗を通して勘所を養った方が強みに変わると思います。間違えたり、失敗したら謝ることで、その人の信頼性も増すきっかけづくりにもなり得ます。一生懸命にやった仕事で失敗することは、真摯に向き合った結果であり、伸びしろは無限だと言えます。お客さんのクレームに真摯に対応した結果、逆に大きな成果に結びつくことも見てきました。つまり、他社なり、外注先、職場内から信用を得ることは、掛け替えのない財産なんですね。この信用があれば、仕事にも繋がり、お金も生むことに繋がりますので、まずは、どうしたら信用を得ることができるかを考える必要があります。表面上の話しに聞こえるかも知れませんが、信用があれば、カードが作れますし、お金も借りれます。今は個人的な信用でネット上からお金を捻出してもらうことも可能な社会です。僕も、信用を積み重ねていくには、どうしたら良いかを考えた結果、断片的だろうと何だろうと、知っていることや、役に立ちそうな情報を、どんどん皆さんに伝え提供していくことだと考えますので、これからも皆様に役立つ情報や困った人の道標的な存在を目指して発信をしていきたいと思います。

早いもので、もう一年の半分が過ぎようとしています。

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